2年前に書いた記事がネット系音楽メディアにパクられて考えたこと

今回の経緯

タイトルの通りである。

2年前にこのブログで書いた記事の内容が日本最大級の音楽フェス情報サイト*1Festival Life [フェスティバルライフ](http://www.festival-life.com/)掲載記事「THE YELLOW MONKEYが復活したら、あのフェスに出演してほしい」で一部パクられた。

問題の記事はすでに削除されているので、元となったブログ記事と問題記事の比較画像を一応載せておく。

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yinnocent5680.hatenablog.com

問題の記事が掲載されたのは11月28日(土)で、自分がこの記事に気づいたのはその日の夕方、TwitterのTL上でだった。

何の気なしに記事を読んでいく中で違和感を覚え、「もしや…」と自分の過去記事をさらって今回のパクリに気がつく。

ただ、自分の判断だけではパクリだと断定する自信がなかったため、Twitterに比較のスクリーンショットを載せたり、知人にLINEでどう思うか聞いてみたところ「表現と論理構成が似ている時点でクロ」という意見が多かったのでFestival Lifeに以下のメールを送信する。

本日(28日)掲載されました「THE YELLOW MONKEYが復活したら、あのフェスに出演してほしい」内において私が運営しているブログ記事(http://yinnocent5680.hatenablog.com/entry/2013/09/29/174533)に酷似していると思われる表現・論理構成がございました。
 本記事の執筆に当たって事前に連絡等はいただいておりませんでしたので、執筆者様が恣意的に弊ブログの内容を盗用したのではないかと考えられます。
 これらについて

 ・運営サイトとしてはどのような見解をお持ちであるか
 ・該当記事の削除は可能であるか
以上の2点ご回答頂けますでしょうか。

そして牽制の意味も含めて今回の顛末をTwitterに連投する。

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28日深夜、メディアから以下のメールが返信される。

○○様

Festival Lifeを運営しております××と申します。

連絡が遅くなりまして申し訳ございません。

この度、ご指摘いただいた件を、スタッフ、執筆者にも確認をしたところ、ご指摘の箇所について、いくつかのまとめサイトでの掲載情報を参照して、記事を構成しておりました。

いくつかのサイトや記事を参照した際に、○○様のブログも拝見させていただいた可能性があり、結果的に構成等が類似してしまった点につきましてお詫び申し上げます。


こちらの記事は、編集部判断で落とさせて頂きます。


引き続き関係各位にもさらに事実関係を確認していきます。
また、今後スタッフ、執筆者ともにこのようなことがないよう、徹底して運営していきたいと思います。

この度は大変申し訳ありませんでした。

Festival Life ××

問題記事の削除を確認し、今回の事件に関する自分のツイートも削除する。

といった流れだった。

今回の件は問題記事が削除された時点で水に流そうと思ってはいたのだが、どうしても腑に落ちない点や考えをまとめておきたい点があった。なので以下に考えをまとめようと思う。

ブログを書く上でのモットー

自分がブログをやる上で絶対的なモットーとしているのは以下の2点だ

・”自分語り”をしない

・ブログ自体から金銭を得ること(アフィリエイトetc)はしない

それぞれ理由を説明しよう

”自分語り”をしない

作品評において優先されるべきは筆者による”主観的”感情の表現よりも作品自体についての”客観的”分析だと自分は考える。なぜ””付きの表現にしたかというと、筆者が客観的であろうと事実を元に組み立てるロジックこそが読み物としての作品評の面白さ、ひいては真に”主観的”な表現につながると考えるからだ。

この考えを象徴する作品としては以下の2作を引きたい。

『The Cut-feat.RHYMESTERBase Ball Bear

LEGOムービー』クリストファー・ミラー&フィル・ロード監督

一つ一つのロジックの積み重ねの中で作り上げていった"客観的”分析は表現の基礎且つ筆者独自の物の見方だ。単なる主観の羅列による”自分語り”は人に見せるようなものではない。

特に今回パクられた『パンドラ』の記事は「如何に作品上の事象や発言を客観的に切り取ることで普遍的な作品評として成立させるか」に重点を置いた記事だ。

しかし、問題の記事は「私が愛してやまないあるバンド」「THE YELLOW MONKEYへの愛を語りだしてしまったら、驚くくらいいくらでもいけてしまうので〜」といったフレーズに代表される「私がどれだけTHE YELLOW MONKEYを愛しているか知ってほしい」という自分語りの押し付けが強いものだった。

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はっきり言って最も苦手な文体である。記事を読んでいても筆者の恍惚とした自己満足の顔しか思い浮かばない。そんな文体に自分の表現が利用されてしまった。

「単なる映画内での発言を書き起こしただけなんだから別にいいじゃないか。」という人もいるかもしれない。それは大間違いだ。一つの作品評を書く上で発言の取捨選択、構成を行うことは表現の一環だ。例え参考文献が一緒であってもそれを論旨とどのように結びつけるかが評論における独自性なのだ。

もちろん僕もTHE YELLOW MONKEYが好きだ。好きだからこそ吉井和哉自伝を発売日に買ったり『パンドラ』を劇場限定公開日に観たり過去のインタビューを読み漁ってきたりした積み重ねがあの記事だ。それを文末を弄るぐらいで自分のTHE YELLOW MONKEY愛()の表現に使うってダサすぎないか?

裏返せば問題の記事も”他人の表現”を切り取って組み合わせることでTHE YELLOW MONKEYへの愛を表した立派な表現なのかもしれないが。

ブログ自体から金銭を得ること(アフィリエイトetc)はしない

なぜ金銭を得たくないかといえば、

「無駄に広告を入れてレイアウトを崩したくない」

「アクセス数目当てに記事を書きたくない」

などいろいろあるが単純に言えば「良い記事を書くことに集中したい」の1点だ。あくまで趣味としてやっているブログであり、そこにはなるべく不純なものは入らないようにしたいと思っている。

しかし、問題記事を掲載したFestival LifeではHP内に広告掲載の案内(お問い合わせ | Festival Life)が出ていることから営利目的で運営されていることは明らかだ。個人ブログから表現を盗用した記事が商品だなんて呆れるしかない。テスト前に他人から借りたノートを勝手に売りさばくようなものだ。

というか返信メールでの「いくつかのまとめサイトでの掲載情報を参照して、記事を構成しておりました。」ってなんなんだ。他にもパクっている可能性があるということなのか。

 「それって、for 誰?」

”好き”という言葉を使わずに自分の好きなものを紹介することは大変だし疲れる。それでも押し付けがましくない範囲で好きな映画や音楽をブログに書くことで知らない誰かに読んでもらえるのは楽しい。

ブログをやってきた中で一番嬉しかったのは、以前このブログの『幕が上がる』に関する記事が誰かによって2chに載せられた時、スレッド内で文章力の低さや分析の甘さについて色々言われる中で、「この人のブログで紹介してる『LEGOムービー』って面白そうだな。」とレスがついた時だった。自分の書いた文章が会ったこともない人に影響を与えられているのかもしれないと思うだけでモチベーションになるし、それ以上の喜びはない。

yinnocent5680.hatenablog.com

このタイミングで自分が何でブログをやっているのかを考え直せて良かったと思う。

”自分語り”はこれで最後だ。

明日からも観たいものを観て、聴きたいものを聴いて、書きたいことを書く。それだけで充分だ。

俺の歌は俺の歌

君のものじゃないぜ

『BLACK COCK'S HORSE』吉井和哉

 

ブログのどっかに自分が音小屋OBってこと書いておいたらパクられなかったのかな〜なんつって

 

 

 

 

*1:サイト内の表現を引用